Search

検索したいワードを入力してください

ステラーカイギュウの最後の目撃情報は?生態や絶滅してしまった理由も紹介

更新日:2024年07月22日

かつてジュゴンのように可愛らしくて、仲間おもいのステラーカイギュウがいたのを知っていますか?本記事ではステラーカイギュウの生態や悲しい絶滅理由を解説しています。ステラーカイギュウに興味を持った方は是非チェックしてみてください。

ステラーカイギュウの最後の目撃情報は?生態や絶滅してしまった理由も紹介
「わけあって絶滅しました」というベストセラー書籍でも話題になった絶滅動物ステラーカイギュウ。わけあってといわれるように、絶滅の経緯に悲しすぎる理由があります。

「ステラーカイギュウはどんな巨大生物だったのか?」
「ステラーカイギュウはなぜ絶滅してしまったのか?」
「優しすぎて絶滅してしまったと言われる理由は何だったのか?」
気になるステラーカイギュウの謎に迫ります。

この記事では、最初の目撃からわずか27年で絶滅することになってしまったステラーカイギュウについて、生態、絶滅した理由、最後の目撃情報などをわかりやすく解説しています。

読み終えた後は、悲しい絶滅理由に切なくなり、生きてる姿が見たかったよー!と思わずにいられないはずです。きっと、ステラーカイギュウの魅力にハマってしまいます。

ステラーカイギュウについて詳しく知りたい方は、是非この記事をチェックしてみてください。

ステラーカイギュウの気になる生態

ステラーカイギュウは、ジュゴンやマナティーと同じ海牛目に分類されます。ジュゴンのように、ずんぐりむっくりとした、マシュマロみたいに愛くるしい見た目で、それをもっと大きくした生物がかつて存在していたことを知っていますか?

ステラーカイギュウは愛くるしい見た目だけでなく、性格や仕草も特徴的です。以下で、生態について詳しく解説します。

生息していた地域

ステラーカイギュウは、1741年にロシア東部にあるコマンドル諸島で目撃され生息していたとされています。ユーラシア大陸北部から北アメリカ大陸北部にかけてのベーリング海に広く生息していました。

10万年前の化石などから、かつては日本沿岸からカルフォルニア州の沿岸まで生息していたようです。日本では主に、北海道北広島市や千葉県の房総半島で化石が発見されています。

ステラーカイギュウは、冬には一面流氷に覆われるような寒い地域に生息していました。
その後、1万年ほど前から人間などの定住や気候変動により徐々に生息域を減らしていったとされています。

体のサイズ

ステラーカイギュウの体長は7〜9mで重さ5〜10トンです。ジュゴンが3mほど、マナティーが3.5mほどなのではるかに大きい体をもっていました。

ステラーカイギュウは胴回りもとてつもなく大きかったのです。なんと、胴回り6m以上もありました。

この体の大きさに対し、顔や胸びれは小さく、頭からしっぽまでくびれのないフォルムとジュゴンに似たような体形でした。海洋哺乳類に見られるような5列の指の骨もありません。

暖かい海に棲むマナティやジュゴンと違い、流氷のある寒い海に棲むステラーカイギュウは、寒さから身を守るために分厚い皮膚を持っていました。その皮膚の厚さは2.5センチメートルになります。黒く硬い皮膚の表面はざらざらでしわがあります。これは、寄生虫による溝なのだそうです。

ステラーカイギュウは、脂肪も分厚く10〜23センチメートルで、これは体温維持と流氷から身を守るクッションになっていたようです。

寿命の目安

ステラーカイギュウと同じくジュゴン科に分類されるジュゴンは、温暖な海域に生息して寿命は70年ほどです。ステラーカイギュウは寒冷な海域に生息していますが、ジュゴンとそれほど変わらず70年ほどと言われています。

食べていたもの

ステラーカイギュウは、潜るのが苦手で浅瀬に群れながら昆布などの海藻を、一日中食べていたといいます。脂肪の多い体では潜ることはできず、海面をぷかぷか浮いていたと考えられます。海流に乗って沿岸近くまで行き、昆布などの海藻を食べていました。

ステラーカイギュウに歯はなく、丸飲みしていたようです。海藻をむしるときは、上顎と下顎の先にある角質の板を擦り合わせて食べていました。ステラー博士の記録によると、腸がとても長かったそうです。長い腸でゆっくりと昆布を消化していたということです。

冬になると、海一面が流氷に覆われ海藻がなくなってしまいます。そのため、絶食状態になり、あばらが見えるほど痩せ衰えます。そして、氷が溶ける春になると浅瀬に戻って海藻を食べる暮らしをしていたと考えられています。

分厚い脂肪に覆われていたため浮力が高く、ほとんど潜水することが出来なかったようで、背中にカモメを乗せていたと目撃記録に残されているそうです。

また、主食が海藻であるため、早く泳げなかったようです。

優しい性格

ステラーカイギュウは穏やかな性格で、社会性が高く、家族単位で群れを作り生活しています。また、群れの仲間意識が強く、他の傷ついた仲間がいたら、見捨てて逃げることはせず、集まってピンチの仲間を助ける習性を持っていました。

特に、メスが襲われると集団のオスが間に入ってきたともされています。メスや子どもが襲われた際、何頭ものオスがやってきて、刺さった銛を外そうとしたり、ロープを外そうとしたりしたそうです。

目撃者ゲオルク・ヴィルヘルム・ステラーの記録では、メスのステラーカイギュウを捕獲したところ、オスが寄り添いずっと離れなかったと記されています。

したがって、探検家が一頭だけステラーカイギュウを傷つければ仲間は集まってくるので、まとめて捕まえることが容易に出来たのです。また、乱獲によって逃げようとしても早く泳げなかったようです。結果として強い仲間意識がステラーカイギュウの絶滅を早めることに繋がってしまいました。

人間による乱獲が原因となり、わずか27年で絶滅してしまいました。

繁殖期や妊娠

春になって、流氷が溶け活動をはじめる頃に、1年に1度の繁殖期を迎えます。妊娠期間は1年以上で1頭の子を出産していたと考えられています。子どもは群れの中心で、守られながら生活していたとされています。

ステラーカイギュウが絶滅してしまった理由

ステラーカイギュウが目撃されたのは1741年11月のことです。デンマークの探検家ヴィトゥス・ベーリングが指揮したロシアの探索船セント・ピョートル号がアラスカ探検の帰途で無人島だったベーリング島に座礁しました。

記録によれば1741年の11月には航路を見失い、多くの乗組員は壊血病にかかっており、飢えと寒さで次々に命を落としていく状況だったそうです。ベーリングが命を落とした後、指揮をとったのは、ドイツ人医師のゲオルク・ヴィルヘルム・ステラーです。

このゲオルク・ヴィルヘム・ステラーが第一目撃者としてステラーカイギュウと名前がつけられています。

生き延びるために乗組員たちは、ベーリング島で目撃したラッコ、オットセイ、そしてステラーカイギュウの肉や毛皮で飢えと寒さをしのぎました。

なんとか帰国した一行は、ベーリング島付近にラッコなど毛皮獣が生息していること、そして大型の海牛がいること、その海牛の肉は上質で赤身肉のように美味しく、脂はアーモンドオイルのように香り高いと報告しました。

そのとき持ち帰ったラッコやオットセイの毛皮を見た毛皮商人が質の高さに驚き、ハンターや毛皮商人たちがベーリング島に殺到しました。

当時、ラッコも相当数乱獲されましたが、もともと数が多いため絶滅には至りませんでした。ステラーカイギュウは食料としてどんどん殺され、数も少なかったので乱獲に耐えられませんでした。

ステラーカイギュウは、警戒心がなく無防備で動きが鈍いので狩ることは容易だったそうです。

実際に確保されたのは、5頭殺された内の1頭程度と言われており、海辺に流れ着いたステラーカイギュウのみが回収されていたようです。捕まえることは容易だったが、何トンにもなるステラーカイギュウを、陸へ運ぶことは難しいので、岸に打ち上げられるのを待っていたようです。残りのステラーカイギュウは、そのまま海底に沈みました。

1768年、ゲオルク・ヴィルヘム・ステラーの知人であったイワン・ポポフが「まだカイギュウが2〜3頭生き残っていたので殺した」という記録が最後の記録となりました。

目撃された当時は、2000頭近くいたステラーカイギュウは、人間の乱獲によりわずか27年で絶滅してしまったのです。

ステラーカイギュウの最後の目撃情報

次のページ:ステラーカイギュウを見られる博物館

初回公開日:2022年09月27日

記載されている内容は2022年09月27日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

Related